職員のつぶやき

平潟神社の能楽堂

こんにちは。
子馬です。

市史04「片山家文書」は
長岡藩の足軽にして絵師・片山翠谷を輩出した家の資料です。

明治維新後、同家は洋品店「片山商店」を営みました。
片山家当主は金春流能楽の愛好家。
長岡藩主が代々金春流能楽をたしなんでいた影響からか、
長岡には古くから金春流が根付いていたようです。

平潟神社の能楽堂では、能の上演はもちろんのこと、
東京から師を招き、普段の稽古も行われていました。
片山家文書には、上演の番組表や稽古日の案内状が数多く残っています。

昭和20年8月1日の長岡空襲の夜、平潟神社の境内で
たくさんの人が亡くなりました。
片山さんも。
片山さんが足繁く通った、能楽堂も。
でも、片山家の蔵にあった資料は焼失を免れたのです。

子馬は、珍しい創作能の謡本を見つけました(写真左)。
俳人・高浜虚子の、戦前の作品です。
在りし日の能楽堂の姿は、絵葉書の中に残っています(同右)。

 
  (片山家文書1672 1673 1674) (柏崎市立図書館所蔵小竹コレクション絵はがき)

荷物用エレベーターの謎・・・


こんにちは!
アールです。

文書資料室の引っ越し先である旧サンライフ長岡。
昭和53年に建てられましたので、老朽化している
箇所がところどころ見られます。

引っ越しにあたりまして、修繕・改修すべきところ
は、しっかり対応していきたいと考えています。

そのうちの一つ、荷物用エレベーターです。

荷物用エレベーター

このエレベーターはサブトレーニング室という部屋に
設置されているもので、ここ数年使用されていませんでした。
老朽化していること、使用しない期間が
長かったことから、今回、改修工事を行いました。

写真は改修前のものですが、改修完了後も、見た目は
そんなに変わり
ません・・・

文書資料室では、非常に多くの古文書・歴史公文書などの
歴史資料を管理しています
。これらを2階、3階に運ぶのに、
荷物用エレベーターは大変ありがたい存在です。

ところで、旧サンライフ長岡時代、ヨガやダンスが行われていた
サブトレーニング室になぜ荷物用エレベーター
がつけられているのか?非常に違和感を感じざるを得ません。

サブトレーニング室。
ダンスやヨガに・・・荷物用エレベーター!?


その件については、次回つぶやきます。

権蔵も気になる

こんにちは。
子馬です。

子馬にはもう一人、気になる人がいます。
古志郡堀金村の権蔵っていう人です。

金井惣兵衛の新田開発を見限って行方をくらました権蔵は、
蒲原郡今泉村(五泉市今泉)に姿を現します。

いつのまにか庄屋になり、さらに
新しい村まで作ろうとしました。村の名は「泉田村」。
勝手に村を作るな、と、元々の庄屋の怒りを買い、
村方騒動に発展しました。

その後の経過ははっきりしません。
泉田という地名は、今も残っています(写真)。

ある本の中に、昭和7年にこのあたりで
「権蔵屋敷」を見たという人を見つけました(故人)。
90年前の情報は古すぎて、
子馬は「権蔵屋敷」を見つけられませんでした。

『長岡市史双書』61号に、ほんの少し登場した惣兵衛と権蔵。
小平尾と泉田に、二人の足跡は残っています。

  

惣兵衛が気になる

こんにちは。
子馬です。

子馬には最近、気になる人がいます。
金井惣兵衛っていう人。
文化年間に、
魚沼郡小平尾村(魚沼市小平尾)で新田開発をした人です。

資金繰りや自然災害で何度も失敗したけどあきらめず、
19年かけて開発を成し遂げた英雄です。
左の写真は、その小平尾の田園風景。
右は、惣兵衛の顕彰碑。広神ダムの広場にたっています。

惣兵衛は、
開発資金を古志郡堀金村(長岡市堀金)の権蔵に借りました。
権蔵は、失敗続きの惣兵衛を見限って途中で姿を消しました。
この一件が、『長岡市史双書』61号に少しだけ登場します。

このあと、どうなるのかな。
子馬は、探ってみようと思います。

  

引っ越し作業


こんにちは!
アールです。

まだ6月だというのに暑い日が続きますね。
先日、子馬さんも触れていましたが、令和5年度、文書資料室は
長倉町の旧サンライフ長岡の建物に引っ越す予定です。

掃除や後片付けなどしていると意外なものが見つかります。



「サンライフ長岡食堂部」と書かれた割りばしです。
そういえば、サブトレーニング室(ヨガなどが行われていた部屋)
は、かつて食堂だったと聞いています。なので、このような割りばしが
たくさん残っていたのですね!

引っ越し作業は大変ですが、こうした発見があると楽しい気分になりますね。