職員のつぶやき
消防訓練
こんにちは。
子馬です。
消防訓練を行いました。
「通報訓練」、「避難訓練」、「消火訓練」、
この三つを合わせて
「消防訓練」というのです。(知ってた?)
SKHが消防署へ通報、
管理のSがお客さん役のGTを避難誘導、
そして
チームワーク抜群の初期消火。
玄関前で
水消火器を使って消火訓練もやりました。
いざという時にあわてないために、
消火器の使い方をしっかり確認できました。
「はやくこちらへ!」 的に注目
「長岡市史双書」編集作業中
こんにちは。
子馬です。
歴史文書館では、現在
『長岡市史双書』第63号の編集をしています。
タイトルは「蔵王権現領安禅寺御用記(8)」。
文化12年の「日並記」「諸掛合留」「諸願書留」、そして
「日記 門田伊豫江戸在府中御門前検地入一件」を収録します。
おなじみ安禅寺シリーズの8冊目になります。
文化12年は、西暦でいうと1815年。
計算すると、今からちょうど210年前。
そのころの長岡って、どんなだったのかな。
この「市史双書」ができあがったら、
「市史双書を読む会」を開催する予定です。
そこでいろんな話が聞けるかも。
お楽しみに。
3月末発行予定、追込み中
除雪チーム
こんにちは。
子馬です。今年もよろしくお願いします。
今日は朝から雪。
いつお客様が来られてもいいように、
玄関前と、お客様用の駐車場は
最優先で除雪しています。
今朝も除雪チーム2名が出動しました。
隊長は管理のS、隊員はSKH。
あっという間にきれいになりました。
入口の階段には、滑り止めのマットも敷いてあります。
今年も皆様のご来館をお待ちしております。
除雪前 チームワーク抜群
強い味方
こんにちは。
子馬です。
管理のSのもとへ大きな箱が届きました。
開けてみると入っていたのは
「コードレスブロワ」・・・何に使うのかな。
落ち葉を風で吹き飛ばす器械だそうです。
日々落ち葉掃きに追われる管理のSが待ち望んでいた
「コードレスブロワ」。
強い味方とともに
今日も駐車場の整備に励む管理のSでした。
今日も駐車場の整備に励む管理のSでした。
かっこいい
青少年文化センター
こんにちは。
子馬です。
歴史文書館では、現在、第11回常設展
「長岡市青少年文化センターの思い出」を開催中です。
会期は令和7年3月29日までですが、
途中、展示替えをする予定もあります。
昭和44年に開館し、平成31年に閉館した「文化センター」。
プラネタリウムや温水プール、ゲーム、「楽しい教室」など、
長岡の人なら誰でもひとつやふたつ、
文化センターにまつわる思い出をお持ちではないでしょうか。
今日来館されたお客様は、
「模型」の思い出を聞かせてくださいました。
そういえば、鉄道模型の上に飛行機が飛んでいたような・・・
覚えている方、いらっしゃいませんか。
皆さんの文化センターの思い出、
いろいろ聞かせてくださいね。

左の建物が温水プール 「完成予想図」
レレレの・・・
こんにちは。
子馬です。
今日も
ざざ、ざざ、ざざ、ざざ、ざざ・・・
という音が聞こえています。
今朝の駐車場はこんな感じ(写真左)。
今日は資料整理ボランティアの活動日なので
急いで落ち葉を片付けなければなりません。
掃いているのは管理のSと助っ人のSKH。
落ち葉は昨日の雨を含み、重くなっているようです。
前回、前々回の写真とくらべてみて。
トウカエデとユリノキ、日ごとに色濃くなっています(写真右)。
自称レレレのおじさん ↑
紅葉
こんにちは。
海彦です。
「賽の河原」だと管理のSを嘆かせるれきぶんの駐車場の木ですが
そればっかりでもないのです。
写真の通り、ユリノキは青みを帯びた黄に、トウカエデは紫がかった赤に色を変え、季節の移り変わりを知らせています。
そればっかりでもないのです。
写真の通り、ユリノキは青みを帯びた黄に、トウカエデは紫がかった赤に色を変え、季節の移り変わりを知らせています。
ユリノキはチューリップに似た花を咲かせ、蜜の木としても有用です。
海彦はユリノキの蜂蜜を食べたことがあります。
トウカエデは公園や道路わきの街路樹として広く用いられていますが、盆栽に仕立てるのも人気だそうです。
毎年、管理のSが嘆くほど大量の種を降らせるトウカエデ。
今なられきぶんの駐車場で拾い放題ですよ。
赤い葉っぱがトウカエデ 黄色いのがユリノキ
落ち葉掃き
こんにちは。
子馬です。
閲覧室で仕事をしていると
ざざ、ざざ、ざざ、ざざ、ざざ、
という音が聞こえてきます。
そう、今年も落ち葉掃きの季節となりました。
落ち葉掃きの担当は管理のS。
今年は駐車場のユリノキ2本を伐採したので、
若干、落ち葉の量が減ったみたいです。
しかしあいかわらずの「賽の河原」だ・・・と、
昨年と同じことをつぶやきながら
今日も竹箒をあやつる管理のSでした。

富曽亀コミセン「むかしを語る会」
こんにちは。
子馬です。
富曽亀コミュニティセンターのサークル
「むかしを語る会」の皆さんが、総勢16名で
富曽亀地区の資料を閲覧に来られました。
閲覧したい資料を目録から選び、申請書に記入してもらうと、
職員が2、3階の書庫から出してきます。
人気があったのはやはり絵図でした。
「この鳥居のマーク、あそこの神社だな」
「ここを公園にする計画があったんだ」など、
いろんな声が飛び交っていました。
もっとゆっくり見ていただきたかったのですが、
残念ながら時間となりました。
またいつでも資料を閲覧に来てくださいね。
なるほど、こんなことが書いてあるのか! 堀金の絵図を囲む皆さん
企画展開催中(2)
こんにちは。
子馬です。
歴史文書館では、現在
令和6年度企画展を開催中です(11月16日まで)。
タイトルは
「長岡市災害復興文庫展~中越大震災20年と歴史文書館」。
企画展の記事が、新聞に載りました!
展示の様子や、「災害復興文庫」の書庫のなか、
被災した資料の整理をしているボランティアの皆さんの活動などが
詳しく紹介されています。
これらの新聞も閲覧室に掲示しました。
来館者アンケートもはじめました(任意です)。
皆さんの中越地震の体験・記憶・思いなど、
聞かせてもらえたらうれしいです。
↑ アンケート用紙
企画展開催中
こんにちは。
子馬です。
歴史文書館では、現在
令和6年度企画展を開催中です(11月16日まで)。
タイトルは、長岡市災害復興文庫展2024
「長岡市災害復興文庫展~中越大震災20年と歴史文書館」。
避難所の資料、被災家屋から救出された資料など、
「長岡市災害復興文庫」のなかから選りすぐった
資料を展示しています。
震災後に結成された資料整理ボランティアの資料もあります。
今日のお客様は、平成7年(1995)の
阪神淡路大震災の被災地に救援に行かれたそうです。
非常時、情報伝達の手段として
「紙」がいちばん役に立ったと教えてくださいました。
子馬は「なるほど」と思いました。
「長岡市災害復興文庫」のなかには、避難所の
掲示物・配布物など紙の資料がたくさんあります。
大きく書いて貼るのが一番だったのだと実感しました。

資料の活用法
こんにちは。
海彦です。
歴史文書館が所蔵する資料には市民の皆さんがご寄贈くださったものがたくさんあります。
この日は寄贈者が整理を終えた資料を見にいらっしゃいました。
いただいた資料は、亡きお母さまが収集した1,000点を超える
昭和期のマッチラベルコレクションで、主に長岡市内のお店のものです。
見るほどに懐かしく、往時の記憶が呼び起こされて話が尽きないご様子でした。
いただいた資料は、亡きお母さまが収集した1,000点を超える
昭和期のマッチラベルコレクションで、主に長岡市内のお店のものです。
見るほどに懐かしく、往時の記憶が呼び起こされて話が尽きないご様子でした。
歴史文書館の資料は古文書類も多く、研究や論文のために利用されることが多いのですが
注目するポイントによっては、個人コレクションも活用の幅が広がります。
注目するポイントによっては、個人コレクションも活用の幅が広がります。
このマッチラベルコレクションもデザインや業種、お店のあった地域に注目してみると新たな発見がありそうです。

「南方〇〇〇」(2)
こんにちは。
子馬です。続きです。
戦地からのたよりには、日時や
所属部隊の現在地、行動などを
書くことができませんでした。軍事機密だからです。
かわりに寿一は「南方○○○」の町の様子を書きました。
道の両脇に山のように積まれて売られている
青々とした新鮮なバナナ、パイナップル。
「母上はお好きでしたね」
船便でお母さんに送りたいと書いています。
このあと寿一は、インパール作戦に従軍します。
過酷な行軍から生還したにもかかわらず、
その後の戦いで亡くなりました。
「南方○○○」は、台湾でした。
これらのことは、戦後
ご遺族の方が調査をして、わかったことです。

調査の内容をまとめた本。
寿一の弟(元海軍兵士)の語りの形で書かれています。
寿一の弟(元海軍兵士)の語りの形で書かれています。
「南方〇〇〇」(1)
こんにちは。
子馬です。
R0505「刈羽郡中里村相野原岡家資料」には
戦地からのたよりが5点、含まれています。
刈羽郡中里村は、現在の小国地域。
相野原に生まれた岡 寿一(としいち)は、
二十歳で応召、中国戦線へ派遣されました。
5点のたよりのうち4点は、中国からの葉書です。
葉書のなかで寿一は、屋根の雪下ろしや
道付けの心配をしています。大陸の厳しい冬を経験しながら、
雪深い故郷の冬を思い出していたのでしょう。
残りの1点は、中国から南方へ転戦する途中、
補給のために寄港した町で書かれたものです(写真右)。
寄港地の地名はなく、「南方○○○」となっています。
これが最後のたよりとなりました。

寄港地で偶然、近郷・鷺之島出身の兵士に出会い、
寿一は彼にこの手紙を託しました。
寄港地で偶然、近郷・鷺之島出身の兵士に出会い、
寿一は彼にこの手紙を託しました。
研修
こんにちは。
子馬です。
夏休みの期間を利用して、市内の
小・中学校教職員の研修会が開催されました。
長岡市内の学校につとめていても、
市外・県外出身の方もいることでしょう。
長岡の歴史について学んだり
資料の利用の仕方を知ってもらったりして、
歴史文書館をどんどん活用し、
授業などにいかしていってほしいなと思います。
今回は研修会でしたが、
個人的にも利用してもらえたらうれしいです。
お待ちしています。
夏の花壇
暑さに負けず咲き誇る歴史文書館の花たちです。
お散歩がてら見ていってください。

モミジアオイ パイナップルリリー
お散歩がてら見ていってください。
モミジアオイ パイナップルリリー
歴史文書館に行ってみよう!
こんにちは。
子馬です。
歴史文書館では、現在
第9回常設展を開催中です(8月24日まで)。
初の試みで、小・中学生の皆さんに向けた
展示の内容になっています。
絵図や、昔の小学校の教科書など
彩り鮮やかな資料にイラストを添えたりして、
小学生や中学生の皆さんの心に届くような
展示を心掛けたつもりです。
「わかりやすい解説」を作るのはむずかしい…
と、子馬は実感しました。
もし意味のわからない言葉があったら、
遠慮しないで職員に声を掛けてみて。
できる限りわかりやすく、答えます。
展示の準備作業中 あ、これは信濃川だね!
浦歴史愛好会
こんにちは。
子馬です。
越路地域の「浦歴史愛好会」の皆さんが
郷土の歴史を学びに来館されました。
総勢10名。
そのうちお二人は、
信濃川をはさんで対岸の地区からの参加。
歴史学習をとおして交流されているのだそうです。
「越後国三島郡浦村検地帳」を実際に出納してみました。
資料袋の中から分厚い検地帳があらわれると、
「わあ!」「おお!」「わくわくするな!」と
歓声があがりました。
満面の笑顔で、食い入るように資料を見つめる皆さん。
本物の資料には、すごいパワーがあるんだな。
子馬は、あらためて感じました。

蓬平の高龍さま その2
こんにちは。
お土産屋さんと参拝客の会話から、晴れた日や行楽シーズンには
随分と待たないと参拝できないこともあるらしいとうかがえました。
現在はよくある中山間地の集落に見えるけど
竹之高地町から蓬平町・濁沢町の太田川沿いは土砂災害や中越地震で大きな被害を受けたところ。
県外からくる参拝客の皆さんにも、地域の人々の頑張りを知ってほしいな。

すぐ隣にはエレベーターもあります 初めての茅の輪くぐり
海彦です。
蓬平の高龍さまは、商売繁盛の神様として知られている神社。
生憎の雨だというのに参拝客で駐車場(台数が少なめとはいえ)は満杯。
細くて急な石段を登り(エレベーターもあります)境内に足を踏み入れると
思いがけなく茅の輪くぐりのしつらえが。
本殿にて参拝。境内にある大きな掲示板には奉納者の名前がずらりと並んでいます。
生憎の雨だというのに参拝客で駐車場(台数が少なめとはいえ)は満杯。
細くて急な石段を登り(エレベーターもあります)境内に足を踏み入れると
思いがけなく茅の輪くぐりのしつらえが。
本殿にて参拝。境内にある大きな掲示板には奉納者の名前がずらりと並んでいます。
お土産屋さんと参拝客の会話から、晴れた日や行楽シーズンには
随分と待たないと参拝できないこともあるらしいとうかがえました。
現在はよくある中山間地の集落に見えるけど
竹之高地町から蓬平町・濁沢町の太田川沿いは土砂災害や中越地震で大きな被害を受けたところ。
県外からくる参拝客の皆さんにも、地域の人々の頑張りを知ってほしいな。
すぐ隣にはエレベーターもあります 初めての茅の輪くぐり
蓬平の高龍さま その1
こんにちは。
海彦です。
6月の初めの雨の日、初めて高龍神社にお参りしてきました。
国道17号片田の交差点から村松町に入り、松岡譲の生家である本覚寺の前を通って、太田川沿いに山を登ります。
白山トンネルを抜けてすぐに左折。大鳥居をくぐったらあとは道なり。
『長岡あーかいぶ』21号の「長岡の碩学」でとりあげた‟中村仙巌尼”が生まれたのはどの辺かな
なんて思う間もなく、3軒の旅館の向こうに高龍神社はありました。
太田川と川に沿って走る道の両側は山。
その狭いところの小山の上に鎮座ましましているので
道路からお社は見えませんが、賑わいようからすぐにわかります。
さすが、長岡市域きってのパワースポット。
初の高龍さま参拝の首尾は次の回で。

万緑の太田川 あそこまで登るのだ
国道17号片田の交差点から村松町に入り、松岡譲の生家である本覚寺の前を通って、太田川沿いに山を登ります。
白山トンネルを抜けてすぐに左折。大鳥居をくぐったらあとは道なり。
『長岡あーかいぶ』21号の「長岡の碩学」でとりあげた‟中村仙巌尼”が生まれたのはどの辺かな
なんて思う間もなく、3軒の旅館の向こうに高龍神社はありました。
太田川と川に沿って走る道の両側は山。
その狭いところの小山の上に鎮座ましましているので
道路からお社は見えませんが、賑わいようからすぐにわかります。
さすが、長岡市域きってのパワースポット。
初の高龍さま参拝の首尾は次の回で。
万緑の太田川 あそこまで登るのだ