職員のつぶやき

新潟日報「週刊ベストセラーズ」に掲載されました!


こんにちは!
アールです。

少し前の新潟日報(5月2日(日))、読書欄「週刊ベストセラーズ」
長岡の第2位になんと・・・文書資料室が編集した冊子が掲載されました!

     
  長岡市史双書No.60 古書肆弘文荘・反町茂雄と長岡
                  『反町茂雄文庫目録』第2集(補遺)


反町茂雄さんは長岡市出身で、貴重な歴史資料を数多く見出した日本の
古書業界の重鎮です。令和3年は生誕120年・没後30年になります。
ぜひ、みなさん手に取ってみてくださいね。

中央図書館、文書資料室、アオーレ長岡の市役所なんでも窓口などで閲覧・購入できます!

年度初めのせわしなさ・・・


こんにちは!
アールです。


毎年のことですが、年度初めは仕事やイベント
などをどのように進めるのか検討したり、昨年度のやり残した
仕事に追われる!?など、なにかとせわしいです。

今年度の仕事も動き出し、ようやく日常の落ち着きを取り戻した
かなと思われる今日この頃。

気づけば、明治公園のしだれ桜も見ごろを過ぎてしまった・・・残念!


    明治公園のしだれ桜

素朴な疑問『長岡市史双書』ってなんだろう?Vol.4

こんにちは!アールです。


前回は、『長岡市史双書』は、『長岡市史』の最後の発刊年度である平成7年度末をもって終了するのでは?
なぜ、いまも続いているのか、その謎に迫ります。


『市史双書』存続のターニングポイントは平成10年度。長岡市史編纂の事務局であった
市史編さん室が解散する年度です。この年に刊行された『市史双書』は、No.38「長岡藩政史料集(5)御蔵と
御蔵役所」(以下、No.38)です。


         No.38

No.38の「はじめに」の前半部を結構長いですがそのまま掲載します。

「十年に及ぶ『長岡市史』の編さんと出版、市制九十周年記念事業の一貫である『ふるさと長岡
の人びと』の編さんも完了したので、組織変更により平成九年度末で市史編さん室は閉じました。
しかし、市史編さん時代に集められた十万点に及ぶ史料を市民の皆様に公開し活用していただく
ため、平成十年四月一日、互尊文庫内に文書資料室が誕生しました。
文書資料室では、長岡の歴史をより深く理解できるよう、編さん室時代の事業の一つであった
市史双書の刊行を継続することにしました。」

・・・とのことです。想定の範囲内の結論ですね。ただ、こういうのも一度はしっかり確認して
おくことが必要なのだと思うのです(個人的にはね)。

やっぱり『長岡市史双書』のスタートは、『長岡市史』の資料編・通史編を発刊するまでの間、
郷土の歴史への関心をたかめるための図書であり、調査の中間報告や、特色的で貴重な
資料集として、いろいろな形で続刊してゆくもの、という期間限定の刊行物の予定でした。
それが、刊行から8年も続き、一定の使命を果たしたのちも文書資料室が事業を引き継ぎ、
現在も継続している。先輩の奮闘に感謝です。

この志をしっかり引き継いで、今後とも『市史双書』の刊行を続けていく決意を新たにした次第です。


(終了)

素朴な疑問『長岡市史双書』ってなんだろう?Vol.3

こんにちは。アールです。

前回は非常に中途半端なところでおわりました。
続きです。


No.1のページをめくると、『長岡市史双書』刊行の目的がきわめて答えに近いこと
が書いてある。ものすごく長いですが、そのまま掲載します。


「いま、新しく編さんしている「長岡市史」は、広く市民に親しまれる内容で、市民の郷土に
対する愛着の気持をいだいてもらうためと、大切な歴史資料を後世に継承し、あわせて、文化・教育の向上に
役立てることを目的としています。

この「市史双書」は、この趣旨に沿って、資料編・通史編を発刊するまでの間、郷土の歴史
への関心をたかめるための図書であり、調査の中間報告や、特色的で貴重な資料集として、
いろいろな形で続刊してゆくものです。」


うーん、これを見ると、『長岡市史双書』は、『長岡市史』が発刊されるまでの間、(恐らく『長岡市史』を
補完するものとして)シリーズ物の資料集として刊行していくことを目的としていたことがわかる。


ここで、『長岡市史』の発行年を整理してみよう。


通史編 上巻             平成8年(1996)3月29日
      下巻             平成8年(1996)3月29日
資料編 1(考古)           平成4年(1992)3月31日
      2(古代・中世・近世1)  平成5年(1993)3月31日
       3(近世2)          平成6年(1994)8月31日
       4(近代1)          平成5年(1993)3月31日
       5(近代2・現代)      平成6年(1994)3月31日
別 編 民俗                       平成4年(1992)2月29日


平成4年の別編を皮切りに平成8年通史編発行まで
全巻を刊行するまで5年かかりました。


『長岡市史』の最後の発刊は、平成8年3月29日か。当初の目的でいえば、平成8年で
『長岡市史双書』の役割は終わりだろう。では、なぜ今もこのシリーズは続いているのか?

(つづく)

素朴な疑問『長岡市史双書』ってなんだろう?Vol.2


こんにちは!アールです。

前回の疑問『長岡市史双書』ってなんだろう?

まずは、『双書』の意味について調べてみよう。
『日本国語大辞典』から引用。
叢書(双書)
 ①種々の書物を集め、一大部冊としたもの。
 ②(「双書」とも)同じ種類の事柄について集め、また、
   一定の形式に従って継続して刊行する書物。シリーズ。

うーん、要はシリーズ物ということがわかった(無知で恥ずかしい)。
では、なぜ『長岡市史双書』と言うのか?

そこで、長岡市史双書No.1「長岡の動植物」(以下、No.1)を
見てみました。



記念すべきNo.1。残念ながら売り切れ

奥付には、平成元年(1989)2月1日発行、長岡市史編集委員会・自然地理部会編集とある。
はじめは、長岡市史編集委員会が担当していたのね。当時、文書資料室は存在していませんでした。


(つづく)

素朴な疑問『長岡市史双書』ってなんだろう?


こんにちは!アールです。

文書資料室では、毎年、あるテーマを設定して、
『長岡市史双書』というシリーズものの
歴史資料集を刊行しています。

この時期になると、職員一同、編集作業に
追われて、ちょっと疲れ気味に・・・

それにしても、『長岡市史双書』の名前の由来は?
新米アールにはわかるようで、よくわかりません。
でも、上司もみんなも当たり前に言ってるし、
ひょっとして常識?

そんな理由から今までついつい突っ込めませんでした。

毎年刊行してるけど、『長岡市史双書』ってなんだろう?


毎年1冊刊行している『長岡市史双書』

(つづく)

寒いです

こんにちは。
ゆきにおです。

記録的な大寒波により長く続いた降雪も一段落。
先週からやっと晴れ間が見られるようになりました。
長岡市内の雪はだいぶ減り、
車や公共交通機関で移動するぶんには問題ないようです。


ただ悩ましいのは、閲覧室がとても寒いこと。
正確には、閲覧室にある職員の席が寒いのです。
考えられる理由はいくつかありますが、
とにかく座っていると、つま先は冷えて感覚がなくなり、
手はかじかんでパソコンのキーボードがうまく打てなくなるほど。

いつもの冬の備えとして、重ね着・重ね履きは当然ですが、
閲覧室当番には作業着を着、
おなか・背中・つま先・かかとにカイロを貼って臨んでいます。
ひざかけは必須、共用の電気あんかを使用して、
やっと安心といったところです(指先が出るタイプの手袋があればさらに完璧)。


閲覧室の一角。晴れた日はここが一番暖かいような…。

こんな状態ですから気になるのは今後の天気。
本来ならば、長岡はこれからが冬本番。
今からこんな雪、こんな寒さでどうなるのか…怖いです。


なお、お客様用の席は、暖房があたりますのでそこそこ暖かです。
安心してご利用くださいね。



書庫の話Vol.3


こんにちは。
アールです。

前回は文書資料室で保管している歴史資料が、「古文書等」と
「歴史公文書」の2種類あることをお話ししました。


現在でも大量にある資料、そしてこれからも増え続ける資料・・・
当然、保管するスペースの確保が課題となります。


文書資料室が入居する互尊文庫に収まりきらない歴史資料は
他の施設で保管しています。我々は、これらの施設を
「館外保管施設」などと呼んでいます(ただし、この名称を
使っているのは上司と私くらいかな・・・)。


保管する歴史資料が分散すると管理するのも
活用するのも大変手間がかかります。


いずれ、こうした歴史資料を効率的に管理・活用できるよう
巨大な書庫がほしいですよね・・・


実は、同じような課題を持つ自治体は非常に多いようです。
書庫問題・・・根が深そうです。


このあたりで袋小路(泥沼?)に入りかけている「書庫の話」は
終了したいと思います。

書庫の話Vol.2


こんにちは。
アールです。

前回に引き続き書庫の話といきたいところですが、その前に書庫に納める歴史資料の種類についてお話しします。
文書資料室で保管する歴史資料は約22万点!
このうち、大多数を占めるのは大きく2種類あります。

1つ目は、「古文書等」。
郷土長岡の歴史を後世に伝えるため、主に市民の皆さんから寄付していただいた古文書や写真・刊行物、
お預かりしているものなど・・・これらをまとめて私たち職員は、「古文書等」と呼んでいます。



「古文書等」。職員が一点一点、丁寧にクリーニングし
大切に保管。


2つ目は、「歴史公文書」。
長岡市の職員が仕事で作成、取得した文書、図面、写真などは一般的に「公文書」と呼ばれており、
その種類により保存期間が決められています。保存期間が過ぎた公文書は廃棄されますが、そのなか
から、郷土長岡の歴史を知るうえで重要と思われるものを選び、文書資料室で保管しています。毎年膨大な量となります。




「歴史公文書」。公文書についているホチキスやクリップ
などの金物は錆びて資料を傷めるので綺麗に取り外す。
この作業にものすごい手間と時間がかかる・・・


長くなりましたので、今回はここまでにします。
次回こそ、本題「書庫の話」に入りたいと思います。

(次回に続く)

書庫の話


 こんにちは。
 アールです。

 今回のお題は、貴重な歴史資料の保管についてです。

 日々、郷土長岡の歴史を調査するべく、多くの方が文書資料室を訪れます。
 なので、お客様が閲覧する長岡の歴史資料は、文書資料室の大事な商売道具です。
 現在、文書資料室にはざっくり22万点の資料があります。22万点、膨大な量です。

 異動してまもない頃、上司から文書資料室の概要について説明を受けました。

 上 司「文書資料室には古文書などの資料が約22万点あるんだけど、それっ」

 アール「ちょ、ちょっと待ってください。22万点ってさらっといってますが、
    膨大な量の資料がどこにあるんですか!」


 互尊文庫の一部をお借りして入居している文書資料室。
 2階、3階にそれぞれ書庫スペースがありますが、とてもとても22万点が納まりきれるスペースがあるとは思えません。

 
  2階書庫 箱の中には整理された古文書          3階書庫 新潟県内に関する記事を切り取り
       などの貴重な資料を保管            新聞社毎に冊子にまとめて保管

 上 司「当然、互尊文庫だけで納まる量じゃないよね・・・」

 納まりきらない資料はどこにあるのか?
 長くなりましたので、今回はここまでにします。

 (次回に続く)