職員のつぶやき

視察(2)

こんにちは。
子馬です。

今日の館内視察は中央図書館の職員の皆さんです。
休館日を利用して、総勢34名で来館。

中央図書館と歴史文書館は
日ごろから図書や資料などの行き来もあるし、
レファレンスで協力し合うこともあります。

当館の資料がどんなふうに整理されているのか、
保管されているのか、どうやって利用するのか…
皆さん興味津々。うなずきながら、メモを取りながら、
真剣に説明を聞いていました。

皆さん、お疲れ様でした。

 

視察

こんにちは。
子馬です。

歴史文書館では、7月1日の開館以来
いろんな団体や公的機関などの
館内視察を受け入れています。

11月29日、暴風雨の中
四郎丸地区福祉会の皆さんが大型バスで到着。
当館の立地は四郎丸地区ですから、
「サンライフ長岡」だった昔をよく知る面々です。

総勢26名は、講座室での講義のあと、
2班に分かれて図書室や企画展を見学しました。
館長の解説を熱心に聞き、時間が足りないくらいでした。

暴風雨の中、次の見学地は「ミライエ」ですって。
皆さん、お疲れさまです。

 

企画展

こんにちは。
子馬です。

歴史文書館では、12月2日(土)まで企画展
『長岡市史』回顧展Ⅰ
「検地帳に中世を読む~地名に刻まれた村の歴史~」を
開催しています。

市政だよりやチラシを見て、市内外から
大勢の方が足を運んでくれています。

これまでに3回のギャラリートークが行われました。
田中館長がていねいに解説をし、
皆さん熱心に聞いていました。

企画展はもうすぐ終了しますが、歴史文書館では
今後もこれらの資料を閲覧することができます。
閲覧室カウンターでお声掛けください。

 

落ち葉

こんにちは。
子馬です。

歴史文書館の駐車場は
背の高い木に囲まれています。
落葉樹です。
子馬は園芸オンチなので、木の名前はわかりません。

今の時期は落ち葉がすごい。
掃いても掃いてもきりがない。
掃いて集めて運んで…の繰り返し。
「まるで賽の河原」と言ったのは管理のS。

駐車場が広くなり、車で来館されるお客様も増えました。
講座や講演会の日は、70台くらいの車が停まります。
駐車スペースの白線が落ち葉で見えないのでは危険ですから、
毎日ていねいに掃いています。

 
    自転車小屋の隅に溜まる落ち葉

パズル

こんにちは。
子馬です。

ちょうど2年前、アール(懐かしい)が
「文書資料室のお仕事」というタイトルで
「くん蒸」作業のことを紹介しています。

くん蒸って何のこと?
どうしてくん蒸するのかって?
それはアールの解説を読んでみて。

ここは小国民俗資料館のくん蒸庫。
この中に、できるだけ無駄な空間を作らずに
様々な形の資料箱を詰め込む。
「パズルのようだ」とかつてアールは言いました。

このパズルが得意なのはゆきにお。
箱は上までていねいに重ねて、
この小さい箱はこの隙間に入れて・・・と、
今回も活躍していました。

 
     箱はていねいに重ねます           きれいに入りました!

長倉探訪

こんにちは。
子馬です。

10月14日(土)、秋晴れの下
長岡郷土史研究会の「地域探訪」が行われました。
今回の探訪は、ここ歴史文書館の地元「長倉」です。

歴史文書館には、
・H1802古志郡長倉村文書
・H1904古志郡長倉村文書 他
これら二つの長倉村の資料があります。

第4回常設展「長倉村の古文書」には、
近隣の皆さんも連れ立って見に来てくれました。
展示の方はもうすぐ(10月25日(水))終了ですが、
安心してください。

歴史文書館ではいつでもこれら
の資料を閲覧することができます。
閲覧・展示室の職員にお気軽にお声掛けください。

 
     「これが慶長2年の検地帳ね」          久保田橋を渡ります

公文書整理スタート

こんにちは。
子馬です。

今年も歴史公文書の整理の作業が始まりました。
市役所の各課から、選定された公文書が続々と運び込まれています。
公文書の収集・整理・保存も、
歴史文書館の大切な仕事のひとつです。

歴史文書館の中に、作業スペースを作りました。
ホチキスの針をはずしたり、こよりひもでまとめたり・・・
これから冬にかけてコツコツと
この地道な作業を担当するのは海彦。

実はこの歴史公文書整理作業、始まったのは平成18年。
当時と比較すると、この作業についての認知度は
ずいぶん上昇したようです。

長岡の歴史を物語る大切な資料を、
今後もしっかりと保存していきます。

東山油田

こんにちは。
子馬です。

皆さん「ブラタモリ」ご覧になりましたか。
子馬は驚きました。
鉄の蓋を開けて、柄の長い柄杓で石油を汲む場面です。

明治時代には、長岡の東部に位置する
浦瀬や加津保、桂沢、比礼(栃尾地域)などで
石油が盛んに掘られていたんですって。

最盛期には200以上の石油会社があり、
掘られた石油は中島の製油所に送られていました(どうやって?)。
石油株の売買には「女株券師」が活躍していたのです(どんな人?)。

子馬は、あの石油が戊辰戦争の後の長岡の
発展の基になったんだな、と実感しました。

歴史文書館では
市史23「山竹石油文書」やH2818「東山油田資料」、
市史02「堀田啓介家文書(女株券師堀田タミ資料)」などを
閲覧することができます。

どうぞ閲覧にお越しください。

 

資料の中の戦争(2)

こんにちは。
子馬です。
後日譚です。

資料の整理をしながら、子馬はずっと
広島市大手町で仕事をしていた秀夫の両親が心配でした。
そこで
受託の手続きをするときに、所蔵者に尋ねてみたのです。

両親はその後、広島市を離れて無事でした。
安心した子馬は、何気なく尋ねました。
「秀夫さんはどうしました?」

秀夫はその後、出征し、
帰還することはありませんでした。

資料の中の戦争

こんにちは。
子馬です。
久しぶりに資料の紹介をします。

R0224「三島郡河辺村庄屋吉川家文書」は
明治時代に三島郡長をつとめた吉川庄蔵家の文書です。

その中に
昭和15年に大阪の三和銀行に入社した吉川秀夫と、
広島市大手町で仕事をしていた両親との往復書簡が残っています。
両親は息子の新生活を気遣い、手紙を送っています。

秀夫の書き損じた書簡も混じっています。
顧客宛てのものを、納得するまで書き直しているのです。
銀行の業務について提案する書簡もあります。
仕事ぶりから、秀夫の人柄がうかがえますね。

これらは昭和15年までのものしかありません。
広島市大手町は、原爆ドームのあるところ。
秀夫の両親は無事だったのかな。
秀夫はその後、どうしたかな。

子馬は心配になりました。

  父から息子へ「注意事項」(仕事の心得30か条)