職員のつぶやき

「戊辰戦争 官軍 長岡戦へ」

こんにちは。
子馬です。

巷の話題は映画「峠」一色ですね。

文書資料室にも、いっぷう変わった戊辰戦争の絵図があります。
「災H2008刈羽郡桐沢村青柳家文書」の中の
「戊辰戦争 官軍 長岡戦へ」です(下部写真、部分)。
長岡ではなく、小千谷を中心に描かれています。

絵図は、小国地域桐沢の組頭をつとめていた青柳家に伝わったものです。
「伊のき山」、「是眼寺」、「六ケ一」、「明見」・・・、
地名などが越後独特の言葉や当て字で書かれていてなかなか読めない。
子馬は、仲間と一緒に知恵をしぼって読み解きました。

小耳にはさんだ情報によれば
この絵図をものすごく大きく拡大して
7月10日から越路地域の長谷川邸で展示するらしいです。

絵図も映画も楽しみです
子馬は、両方見に行くつもりです。



「久保田橋」

こんにちは。
子馬です。

左の写真の建物は、長倉町にある旧サンライフ長岡。
来年度、文書資料室はここへ引っ越す予定です。
裏手には栖吉川が流れています。

栖吉川にかかる水色の橋は「久保田橋」といいます。
どうして久保田橋っていうのかな。
子馬は、ずっと不思議に思っていました。

5月11日の古文書解読講座に参加して、
この謎を解くヒントを手に入れました。
江戸時代の長倉村の絵図のなかに、「久保田」の文字を見つけたのです。

右の写真を大きくして見てみてください。
地名なのか人名なのかはわかりませんが
辺りを指す呼称として、「久保田」は存在していました。
これが橋の名前の由来ですね、きっと。

絵図は、「H1804古志郡長倉村文書ほか」の中にあります。
移転した暁には、絵図と久保田橋を確認しに来てくださいね。
(移転する前でもどうぞ。)

 

文化十一戌年八月廿九日

こんにちは。お久しぶりです。
子馬です。

写真の褒状は
「災H1810柳原町堀井家文書」のうちの1点(部分)です。
災H1810は資料群番号で、「災」は被災資料であることを表しています。
平成16年の中越大震災で被災し、当室に寄贈されました。

柳原町の甚之助は13年の長きにわたり御厩で細工の御用をつとめ、
さらに御大小(打刀と脇差)と御短刀を打立てたことを褒められて、
一人扶持(1年分の給与米)を賜りました。
長岡の刀鍛冶の仕事ぶりを伝える資料です。

資料の日付は、文化11年(1814)の8月29日。
これは旧暦だから、今でいえば8月の初めのころ。

およそ200年前の長岡って、どんな様子だったのかな。
子馬は、とても知りたくなりました。

長岡市史双書No.61
『蔵王権現領安禅寺御用記(7)日並記・諸掛合留・諸願書留(文化10・11年)』には、
当時の長岡の様子が詳しく書かれているそうです。

7月にはこの本をテキストに
「市史双書を読む会」も開催されるそうです。

子馬も参加するつもりです。
会場でお会いしましょう。


長岡市史双書最新刊絶賛販売中!


こんにちは!
アールです。

新年度が始まり、早くも2ヶ月が経とうとしています。
文書資料室では、資料整理ボランティア、古文書解読講座などが
順調に始まり、幸先の良いスタートをきることが出来ました!

一方で、今年度は例年以上に業務が立て込んでいます・・・
職員総出で手分けしながら着実に取り組んでいきたいと思います。

面白いネタがあれば、どんどんつぶやいていきますのでお楽しみに。

長岡市史双書の最新刊『蔵王権現領安禅寺御用記(7)』が昨年度末に
完成しました。
蔵王権現の年中行事や、検地入一件などの蔵王領・長岡藩領の村々の
できごとを紹介しております。

アオーレ長岡総合窓口、文書資料室などにて絶賛販売中です!
興味のある方は、ぜひ、お買い求めください。

  
    蔵王権現領安禅寺御用記(7)
日並記・諸掛合留・諸願書留(文化10・11年)~




展示作業の風景


こんにちは。
アールです。

新年度に入り、早いものでもうすぐ1ヶ月が経とうとしています。

今回は、互尊文庫のエントランス展示について紹介します!

展示作業を行った担当Nがこのようにつぶやいていました。
「原寸大の絵図のレプリカを作成したけど、展示スペース
いっぱいになってしまい、どのように展示しようか悩んでます・・・」



「・・・確かに難しいですね。展示頑張ってください。」
何も良策が浮かばない私はそそくさと事務室に戻りました。

数刻後、再び展示を見にいったところ、見事に完成されていました!

みなさんも互尊文庫にいらっしゃってご覧いただければ嬉しいです。
活動記録でも紹介しておりますので、そちらもご覧ください♪



文書資料室の使命「資料整理」


こんにちは。
アールです。

文書資料室には古文書等の歴史資料が膨大にあります。また、新たな資料の
受け入れも常時行っているため、資料の整理が全く追いつかないのが現状です。
目録を作成して歴史資料を公開できる状態にする、この「資料整理」の作業は重要な業務の一つです。

文書資料室に「三島郡中沢新田山本家文書」という文書群があります。最近、ホームページに目録を公開しました。
その目録を見ると形態が全て冊子形だとわかります。書簡などの一紙もの(一枚の用紙、もしくは複数の用紙をつなげた紙に
書かれた文書)が全くありません。

不思議だな・・・と約50個ある山本家の文書群の保存箱をのぞいてみると、そこには
目録に収録されていない一紙ものの古文書が大量にありました!時々、こういうことがあるのです。

 

整理が完了したと思っていた文書群が実は整理途中だったという状態、もしくは、
後ほど整理しようと思って、そのまま放置されてしまった状態・・・

自治体史編さんの時代に収集した文書群に、ごくまれにですが、そういったことが見られます。
この一紙ものについては、ラベルが貼ってあるものも多数あり、ひょっとしたら、どこかに目録が存在するかもしれません。
膨大な文書群の中には、資料整理の道半ばで、自治体史編さんチームが解散し、
そのまま時が流れ・・・悲しいかな、自治体史編さんあるあるです!?

上司に報告して資料整理計画に入れてもらいました・・・そうです、資料整理は永遠に続く私たち職員の使命なのです。

文書資料室所蔵資料目録のインターネット公開


こんにちは。
アールです。

昨年度より、文書資料室が所蔵する古文書などの目録について、インターネット公開を始めました。

ここ最近作成された目録はデータ化されており、
比較的簡単にインターネット公開が可能ですが、15年以上前に作成された目録は
手書きのものも多くあります。
これらについては、入力し直してデータ化してから公開となりますので手間
がかかります。

また、いざ、インターネット上に公開するとなるとやっぱり慎重になるもの・・・
目録の中身を総点検した後に公開します。この点検に多大な時間を要しますね。


これが文書資料室所蔵資料目録です!

文書資料室にどのような歴史資料があるのか、広く皆さんに知っていただく
ため、今後もホームページへの目録公開を順次進めていきます。


長岡郷土史研究会


こんにちは。
アールです。

文書資料室は、「長岡郷土史研究会」の事務局を担当しています。
なので、長岡の歴史に精通してらっしゃる諸先生方、先輩方がよくいらっしゃいます。
諸先輩方を前に、当初緊張していました私にも気さくに接してくださり、最近では、
勝手に打ち解けた気になっています!(完全に思い込みですね・・・)

とはいっても、私は会の運営にはほぼノータッチでして、上司が事務局として会を切り盛りしているところを眺めているだけです。

そんな私が会のことをつぶやくのは本当に恐れ多いですが・・・つぶやきます!

郷土の歴史を研究する長岡郷土史研究会は、毎年『長岡郷土史』を刊行して、
会員の研究成果を発表しています。会の発足については、その創刊号(昭和35年9月発行)
の「発刊のことば」から昭和34年9月頃に発足したことがわかります。『長岡郷土史』も、58号まで発行されました。


令和元年に還暦を迎えた長岡郷土史研究会。定期的に研修旅行を行い、毎年200頁を超す
機関誌を発行するなど、現在も血気盛んに活動しています。

興味のある方はぜひ文書資料室にご連絡ください!

長岡市史双書の編集現場


こんにちは。
アールです。

文書資料室では、所蔵している古文書などを紹介する『長岡市史双書』という歴史資料集
を毎年1冊のペースで発行しています。今年度ももちろん発行いたします!

ただいま編集作業は大詰めを迎えています。編集担当のみなさん頑張ってください!(・・・私も担当の一人ですが。)

今日は総出で書庫の大掃除


こんにちは。
アールです。

年が明けて初投稿・・・

互尊文庫の特別図書整理期間に合わせて、2月21日(月曜日)、文書資料室も年に一度の大掃除を行いました。
作業内容は以下のとおり

・歴史資料の保存箱に防虫剤を入れる
・保存箱や棚に付着したホコリを取り払う
・書庫の床を消毒する
・保存箱の移動する
                            などなど 

 

古文書などの歴史資料をしっかり保存して後世に伝えていくために、限られた予算の中ではありますが、
今後も職員ができる保存作業を丁寧に行っていきます。