2021年3月の記事一覧

素朴な疑問『長岡市史双書』ってなんだろう?Vol.4

こんにちは!アールです。


前回は、『長岡市史双書』は、『長岡市史』の最後の発刊年度である平成7年度末をもって終了するのでは?
なぜ、いまも続いているのか、その謎に迫ります。


『市史双書』存続のターニングポイントは平成10年度。長岡市史編纂の事務局であった
市史編さん室が解散する年度です。この年に刊行された『市史双書』は、No.38「長岡藩政史料集(5)御蔵と
御蔵役所」(以下、No.38)です。


         No.38

No.38の「はじめに」の前半部を結構長いですがそのまま掲載します。

「十年に及ぶ『長岡市史』の編さんと出版、市制九十周年記念事業の一貫である『ふるさと長岡
の人びと』の編さんも完了したので、組織変更により平成九年度末で市史編さん室は閉じました。
しかし、市史編さん時代に集められた十万点に及ぶ史料を市民の皆様に公開し活用していただく
ため、平成十年四月一日、互尊文庫内に文書資料室が誕生しました。
文書資料室では、長岡の歴史をより深く理解できるよう、編さん室時代の事業の一つであった
市史双書の刊行を継続することにしました。」

・・・とのことです。想定の範囲内の結論ですね。ただ、こういうのも一度はしっかり確認して
おくことが必要なのだと思うのです(個人的にはね)。

やっぱり『長岡市史双書』のスタートは、『長岡市史』の資料編・通史編を発刊するまでの間、
郷土の歴史への関心をたかめるための図書であり、調査の中間報告や、特色的で貴重な
資料集として、いろいろな形で続刊してゆくもの、という期間限定の刊行物の予定でした。
それが、刊行から8年も続き、一定の使命を果たしたのちも文書資料室が事業を引き継ぎ、
現在も継続している。先輩の奮闘に感謝です。

この志をしっかり引き継いで、今後とも『市史双書』の刊行を続けていく決意を新たにした次第です。


(終了)

素朴な疑問『長岡市史双書』ってなんだろう?Vol.3

こんにちは。アールです。

前回は非常に中途半端なところでおわりました。
続きです。


No.1のページをめくると、『長岡市史双書』刊行の目的がきわめて答えに近いこと
が書いてある。ものすごく長いですが、そのまま掲載します。


「いま、新しく編さんしている「長岡市史」は、広く市民に親しまれる内容で、市民の郷土に
対する愛着の気持をいだいてもらうためと、大切な歴史資料を後世に継承し、あわせて、文化・教育の向上に
役立てることを目的としています。

この「市史双書」は、この趣旨に沿って、資料編・通史編を発刊するまでの間、郷土の歴史
への関心をたかめるための図書であり、調査の中間報告や、特色的で貴重な資料集として、
いろいろな形で続刊してゆくものです。」


うーん、これを見ると、『長岡市史双書』は、『長岡市史』が発刊されるまでの間、(恐らく『長岡市史』を
補完するものとして)シリーズ物の資料集として刊行していくことを目的としていたことがわかる。


ここで、『長岡市史』の発行年を整理してみよう。


通史編 上巻             平成8年(1996)3月29日
      下巻             平成8年(1996)3月29日
資料編 1(考古)           平成4年(1992)3月31日
      2(古代・中世・近世1)  平成5年(1993)3月31日
       3(近世2)          平成6年(1994)8月31日
       4(近代1)          平成5年(1993)3月31日
       5(近代2・現代)      平成6年(1994)3月31日
別 編 民俗                       平成4年(1992)2月29日


平成4年の別編を皮切りに平成8年通史編発行まで
全巻を刊行するまで5年かかりました。


『長岡市史』の最後の発刊は、平成8年3月29日か。当初の目的でいえば、平成8年で
『長岡市史双書』の役割は終わりだろう。では、なぜ今もこのシリーズは続いているのか?

(つづく)

素朴な疑問『長岡市史双書』ってなんだろう?Vol.2


こんにちは!アールです。

前回の疑問『長岡市史双書』ってなんだろう?

まずは、『双書』の意味について調べてみよう。
『日本国語大辞典』から引用。
叢書(双書)
 ①種々の書物を集め、一大部冊としたもの。
 ②(「双書」とも)同じ種類の事柄について集め、また、
   一定の形式に従って継続して刊行する書物。シリーズ。

うーん、要はシリーズ物ということがわかった(無知で恥ずかしい)。
では、なぜ『長岡市史双書』と言うのか?

そこで、長岡市史双書No.1「長岡の動植物」(以下、No.1)を
見てみました。



記念すべきNo.1。残念ながら売り切れ

奥付には、平成元年(1989)2月1日発行、長岡市史編集委員会・自然地理部会編集とある。
はじめは、長岡市史編集委員会が担当していたのね。当時、文書資料室は存在していませんでした。


(つづく)